映画『国宝』~芥川賞作家の業の深さ~

映画『国宝』の勢いが止まりませんね。先日発表された日本アカデミー賞では13冠を記録するなど、本当に凄まじい映画です。

特に目を引かれるのは、「優秀助演男優賞」と「優秀助演女優賞」です。

ノミネートされるのはそれぞれ5人ほどですが、この2つのタイトル両方とも、5人中3人を『国宝』が占めるという快挙というか、もうほぼ暴力です笑

以下に「優秀助演男優賞と「優秀助演女優賞」を受賞した方を記載します。

優秀助演男優賞(公式X記載順)

佐藤二朗(爆弾)

田中泯(国宝)

松村北斗(ファーストキス 1ST KISS)

横浜流星(国宝)

渡辺謙(国宝)

優秀助演女優賞(公式X記載順)

蒼井優(TOKYOタクシー)

高畑充希(国宝)

寺島しのぶ(国宝)

森田望智(ナイトフラワー)

森七菜(国宝)

すごすぎます。1作品から助演賞にこれだけの役者がノミネートしたことってこれまであったんでしょうか?

5分の3でもすごいのに、10分の6です。

まさに記録にも記憶にも残る名作ということですね!

でも、そろそろ上映も終了するんじゃないでしょうか。

僕が見に行ったのは半年以上前の7/12(土)でした。

一言で言うならば、どえりゃあ映画です。
もちろんそんな一言では足りないし、そもそもこの映画を語ろうとすることが傲慢なのではないかとすら思う内容だったので、僕が小説家(芸術家)として生きる者として突き付けられた衝撃とこれからの覚悟みたいなものを書ければと思っています。

世界一ざっくりとしたあらすじを書くならば、
極道の息子として生まれた喜久雄が目の前で親を惨殺され、彼の「女形」としての才能を見抜いていた歌舞伎役者に引き取られ、歌舞伎役者として生きていくことになる
というものです。
これに少し肉付けするならば、引き取られた歌舞伎役者の家は名門で、跡取り息子が存在します。ただ、喜久雄の才能は「生まれた時から役者」の跡取り息子を遥かに上回っていて……。

映画のキャッチコピーが秀逸過ぎます。
「その才能が、血筋を凌駕する――」

かっこよすぎますね。
主演の吉沢亮、相手役の横浜流星、他にも渡辺謙や高畑充希ら豪華出演者の芝居や映像美はここで書くよりも観てもらってこそだと思うのではしょりますが、
とにかく僕が『国宝』を観て1番感じたのは
芥川賞の重さ――
でした!

原作者の吉田修一先生は過去に芥川賞を受賞していて、『国宝』は吉田先生の作家活動20周年記念作品として出版されたものらしく、僕は物語の凄みを肌で感じて、「これが芥川賞作家の書く物語か・・・」と衝撃を以て突きつけられました。

僕は過去に大きな病気をしたことがあり、まあまあ特殊な死生観を持っています。その死生観・・・たとえば「死」について、場合によっては「生より死のほうが救いである」ことがあるその他もろもろの考えに基づいてミステリーや悲劇小説を書いてきました。
自分自身、なんちゃって小説家とはいえ、一人の小説家として(実際に行動には移せないものの)太宰治の入水自殺未遂や三島由紀夫の割腹自殺、有島武郎の愛人との無理心中など・・・文豪たちの度肝を抜かれるような最期に強い憧れを抱いています。

たとえば「人生で最も愛した女性に殺される」とか「自分の元を離れていくくらいなら彼女を殺して自分も死ぬ」とか、絶対にできないけれど、裏を返せばそれだけの想いを持てる人と会える人生というのはある意味幸せだと思うわけです。

話が脱線しましたが、要するに僕は理想の「死に様」を追求してきたわけです。
でもそれは間違っていたのかもしれない・・・。
『国宝』では何人もの登場人物が作中命を落とします。(壮絶な最期は喜久雄の実父くらいで、あとはみんな平穏(?)です。平穏というか、殺されるとかそういうのではない)

そこだけを切り取れば「死に様」の形を見せることなのかもしれません。でも主役の喜久雄(吉沢亮)は作中に死にはしません。
でも僕は『国宝』を見終わって、これ以上ない満足感を得たわけです。
それはなぜか・・・

喜久雄の生き様に感動したからです。
喜久雄だけではありません。映画『国宝』では登場人物それぞれの生き様(生き様という一言で片付けてしまうのは違う気がしています。そのくらいいろんな葛藤や苦しみ、つまり人間模様)が深く深く描かれているのです。

それぞれの苦悩と葛藤――変えることのできない運命。
それらがぶつかり、火花を散らすことで人間の醜さがどこまでも露になっていく。何て業の深い映画なんだと思いました。

エンターテインメント全盛期の原題において、純文学的なストーリー、しかも若者には馴染みのないであろう‟歌舞伎”を題材にした映画で興行的にも成功しており、上演開始から1ヶ月以上経過してもなお下の画像のような客入り・・・

ですがこれだけのロングラン上映になった今思えば、何の驚きもありませんね😅

僕はこの映画に真の芸術を見ました。
現代の人々は基本的にお金でしか価値を見出そうとしません。興行的に成功したから素晴らしい映画かといえば、そんなことはないでしょう。
もちろん興行的に成功しないと意味がないというのもわかります。
ただ、僕が真の芸術だと感じたのは、

3時間という長い長い映画で題材が「歌舞伎」であるにもかかわらず興行的にも成功し、観る者を魅了する。
それは喜久雄のたどった壮絶な人生と、数奇な人生を乗り越えていく生き様によるものだと思います。
役者同士の芝居のぶつけ合いも息を飲むものがありました。はまり役の役者陣がそれぞれの役の生き様をぶつけ合う。そこで散らした火花が大きくなり、映画の中でとてつもない業が炙り出されているのです。

自分は喜久雄のように生きられているか?
映画を観ながら何度も自問しました。帰路でも何度も自問しました。
いつも僕は、面白い映画を観たら誰かに話したくなって堪らなくなります。でも『国宝』は違いました。
しばらく1人で噛みしめていたい……。物語を反芻しながら、いろいろと考え事をしたい・・・
そんなふうに思った映画は初めてです。

ミステリーももちろん面白いし、評価されるものだと思います。
でも僕は、映画を観て思ったのです。
「なんで小説を書き始めた?」
 「10代で病気をしたからだろう!」
「書くべきものはなんだ?」
 「生き様……命の重みと、軽さ」
ならそれを書け!
万人ウケする小説なんかしょーもない、そんなもんは誰にでも書けるんだ。
おまえにしか書けない、生き様を映し出す傑作を……。
今後もミステリーは書きますが、もっと自分の色を出せるような、登場人物の生き様を描く純文学ものを書いていこうと思いました。

結局、人々の心に衝撃を与える……いつまでも残る傑作は壮絶な「生き様」、そして「死に様」なんだと思います。
僕は今日、物書きとして一皮剥かせてもらったような気がしました。

シェイクスピアは地獄に落ちた……。
数々の悲劇を書いたシェイクスピアはその業の深さからそう言われています。
僕は『国宝』を観て、「李相日は地獄に落ちる」と思いました。そのくらい業の深い映画です。
でも僕は、『国宝』の監督が李相日で本当によかったと思います。

邦画史上最高傑作。後にも先にも、僕の中で『国宝』を超える映画は出てこないでしょう。
僕は、僕の小説が原作となって映画化された時、その時に『国宝』を超えられるような原作を書くことを1つの目標にしようと思いました。

そして僕は映画を観てしばらく経った頃、その時は映画『宝島』の上映が始まっていて、上映時間が『国宝』より長いので原作を読もうと思い、僕は『宝島』を求めて本屋に行きました。

ですがさすがに上映開始直後の映画原作、なんと売り切れで在庫がない!

僕はあまり読む気のなかった『国宝』の原作を手に取ることになりました。

読むつもりがなかったのは、映画が凄すぎたから。

これだけの映画作品になった原作を読んで、がっかりするなら読みたくないじゃないですか。でも原作は、やっぱり凄い。

正直、面白さで言うと映画以上でした。もちろん、映画を観たことで歌舞伎の画が浮かぶというのはあるかもしれませんし、そういう意味では映画を観てから読むべき小説なのかもしれません。

映画では省かれているシーンや登場人物もたくさんあるのですが、映画を観てから読む人でも違和感はないですし、むしろ原作だと、「あのキャラクター、この時そんなふうに考えてたんや!」とわかって面白かったりもします。

そんなこんなで愛蔵版第一刷の原作を購入した僕ですが、大満足した次第です。

短くまとめようと思っていたのに、予定の倍くらい書いてしまいました。
でも何となく書き足りないような、そんな感じがしています。強制的に締めくくるにはこの言葉を使うしかなさそうです。
ぜひ劇場に足を運んでください!(どこの回しもんでもない僕より)


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