今回は、甲子園大会で実際に取材された僕の記事を軸に、甲子園とそれまでの軌跡について書きたいと思います。
最後には、取材を受けたことでの変化や、今思うことについて書いていますので、ぜひ最後までご覧ください。
毎日新聞さんからの取材
甲子園大会の初戦(2回戦)、vs.おかやま山陽高校との試合は、初回に相手チームの4番打者にレフトスタンドへホームランを放り込まれるなど、2点のビハインドで始まりました。
相手投手も素晴らしい投手で、序盤の3回が終わった時には1-2で負けていました。
やはり全国はすごい。甲子園で勝つのは簡単じゃないなと思っていたところ、
「青池君はどちらですか?」
という声が。
それが毎日新聞の記者さんでした。
どこから聞きつけたのか、記者さんは僕の病気のことをご存知で、それで取材をさせてほしいとお願いされました。
当時まだ未成年だったので、記事掲載についてはセンセーショナルな内容ということもあり、両親にも確認を取られるなど丁寧にご対応いただきました。
当時の記事がこちらです!↓
毎日新聞で取り上げられた記事「また仲間と野球を がん闘病の乙訓・青池」
#1でも書いたように、抗癌剤治療のために入院していた病院から「外出許可」を得て応援に駆けつけていたので、顔色が悪いです笑
すこぶる悪いです笑
病気について、取材を受けていると、
「今日勝てば、次の対戦相手は三重高校になる可能性があります。青池君は、昨夏の三重高校との練習試合で先発したこともあるそうですね。運命的なことを感じますか」
よく知ってるな~と感心してしまいました。
記者さんの言う通り、僕は夏休みの三重高校との練習試合で先発しました。
ただ、やはり全国トップレベルのチーム(この選抜ではベスト4)です。
僕は先発したものの、2回4失点でKOされました。苦い記憶です笑
ただ、記者さんの言うように、運命的なものを感じざるを得ませんでした。
というのも、僕の高校野球人生の最後の試合が件の三重高校との試合だったからです。
三重高校との練習試合の後、持病の椎間板ヘルニアが悪化した僕は満足に練習に参加することもできず、当然試合に出ることもありませんでした。
悩ましい腰痛を改善しようとしているうちに悪性リンパ腫を患い、僕の高校野球は終わりを迎えたのです。
そんな因縁というと、大袈裟だけど、どこか縁を感じる三重高校と甲子園で試合をするかもしれないというのは、確かに運命的です。
なんと答えたのかは覚えていないのですが、記事の中で「はい。運命に引き寄せられたかのようですね」みたいなことが書かれていないということは、記者さんの思惑とは違う回答をしたのでしょう。
せいぜい、「不思議な感じです」くらいでしょうか。
というのも、勝ち上がれば三重高校と対戦するかもしれないというだけで、取材を受けている時、僕たちは負けていたのです😅
相手投手は球質の重そうな140キロ超えのストレートを投げていましたし、打線は大阪桐蔭クラス(僕たちの世代は根尾、藤原の大阪桐蔭史上最強世代)という前評判でした。
勝利するという未来は簡単には見えません。もちろん、誰も諦めてなどいませんでしたが。
そして取材では、「ここからどういう展開を期待しますか?」と訊かれました。
「僕たちは7、8、9回で勝ちきる野球を目標にやってきたので、終盤にチャンスがあると思います。そこで逆転して、甲子園初勝利を掴んでほしいです!」
というふうに答えた記憶があります。
そう答えたまさにその時、同点に追い付いたのですが、僕は取材を受けていたのでタイムリーヒットを見逃してしまいました笑
くそー!
とりあえずわけもわからず盛り上がり、得点のテーマをみんなと歌って、そのうちに取材は終了しました。
その後、乙訓は粘り強く戦い、僕の予言通り(?)逆転し、見事甲子園初勝利を掴んでくれました。

高校に入学した直後から校歌を大きい声で歌うよう強制され(野球部の自発的な行動です。ハラスメントなどではありません笑)、練習を始める前にも毎日歌った校歌。
校歌に思い入れがあるかと言われればそうでもないのですが、甲子園で勝って校歌を歌った時は、喜びも一入というか、「校歌を甲子園で歌えている喜び」を噛み締めながら、応援で疲れ果てた病体に鞭打ち、精一杯大きな声で歌っていました。

甲子園で勝利したことは、間違いなく治療への励みになりました。
みんな頑張った、俺も頑張ろうと思えました。
そして運命めいた三重高校との3回戦です。
おかやま山陽戦から抗癌剤治療を延期していた僕ですが、さすがに引き伸ばせる時間にも制限がありまして、この三重高校との3回戦までしか現地で応援することはできない予定でした。
勝ち進めば、僕は病室で抗癌剤治療を受けながら、テレビでの観戦となります。
結果的に、三重高校に1-2で敗れ、乙訓は甲子園を去るのですが、当時の僕の心情は「みんなと同じ甲子園で終われてよかった」という本音と、「たとえ応援にはこれなくても、もっと勝ち進んでほしかった」という2つの想いが混在する複雑なものに……。
その後、僕は乙訓に勝った三重高校が優勝することを願い、応援していました。
練習試合での縁もあります。
乙訓に勝った三重高校は、次の準々決勝の星稜高校に勝利し、準決勝に駒を進めます。
そして準決勝では、後に史上初の二度目の春夏連覇を成し遂げる大阪桐蔭を追い詰めるも、延長11回に劇的な逆転サヨナラ負けを喫したのでした。
この試合を、病室のベッドで抗癌剤治療を受けながら固唾を飲んで見守っていたことをよく覚えています。
抗癌剤の副作用はずっとしんどかったのですが、この日は不思議と副作用が軽く、試合中ずっと座っていられたのです。
甲子園は、間違いなく青春の絶頂でした。高校生活にはたくさんの思い出があります。
でもやはり、甲子園だけは特別な輝きを放っているのです。
記事になったことの反響
「甲子園」という国民的行事の中で、「毎日新聞」という大きなメディアに取り上げられたことの反響は決して小さくなく、地元の友達はもちろん、入院していた同じ病棟の患者さんからも声をかけられるようになりました。
3回戦に向かう朝には「頑張ってな」、「勝ってこいよ」と送り出されるなど、とても暖かい気持ちになったのをよく覚えています。
もちろん、心ない声もあったようです。(僕は見ていないのですが、家族が悲しんでいました。)
そんな中、印象的な出会いがありました。
僕は当時、鍵アカウントでTwitter(現X)をやっていたのですが、とある人物からフォローリクエストが届き、承認しました。
彼だけでなく、僕の記事が配信されてから、少しですがフォローリクエストが届くようになりました。
その彼のリクエストを承認し、知人ではないため僕はフォローを返さなかったのですが、その人は何度も僕のフォローを外してはフォロリクを送ってきたのです。
なんやねん。
そんなふうに思っていたある日、Twitterのプロフィール欄に「悪性リンパ腫を経験した高校球児」である旨が記載されており、僕はなるほどと思いました。
フォローを返すと、ダイレクトメッセージでのやり取りが始まりました。
お相手は大阪出身で、九州の高校に野球留学をしていた同い年の高校球児でした。
僕が病気を患うより一年ほど早く同じ「悪性リンパ腫」を患い、今では寛解して再び野球をプレーできていると話してくれました。
「絶対また野球できるから!」
と励ましてくれました。
その後も交流を続け、「いつか会って話したいね」と話していたのですが、僕がTwitterにログインできなくなってしまい(乗っ取られたのか、パスワードがわからなくなってしまい……)、それっきりになってしまいました。
もしあの後も時々連絡をくれていたら、ごめんなさい。この場を借りて謝罪します。
この時僕は、メディアの力を実感しました。
まったく知らない人なのに、同じ病気をしたことで広がる輪もあるんだなあ、と。
さらにこの話には後日譚がありまして、まだ僕のTwitterが生きている頃ですが、最後の夏の大会に挑む彼が九州の地元紙に取材されていたのです。
そこで僕に連絡を取り、きっとまた野球ができるから頑張れと言葉を送ったことが書かれていました。
彼は今、どこで何をしているのでしょう。大学で大阪に戻っているらしいことは知っていたのですが、、、
一度くらい会って話してみたかったですね。今となっては彼のアカウント名もわからないのです。
軌跡と使命感
甲子園のブランド力というのは、やはり物凄いものがあります。

記事の拡散力は「毎日新聞」の影響力も大きいですが、その記事の中でもより注目された要因として、「甲子園」は切り離せないでしょう。
美しいグラウンド、テレビ中継、それだけではありません。
やはり簡単には立つことができない舞台であるからこそ、すべての高校球児の憧れであり続けるのだと思います。
思い返してみると、僕たちの組み合わせも壮絶でした。
秋季京都大会で初優勝すると、近畿大会の初戦の相手は古豪・神港学園でした。
神の港の学園!? 名前が神々しすぎます笑
神港学園に勝った僕たちは、近畿大会の準々決勝で奈良の智辯学園と対戦しました。
野球ファンなら誰もが知る岡本和真選手をはじめ、プロ野球選手を多数輩出する名門校です。
僕たちの年には、後に阪神タイガースにドラフト1位指名される伊原陵人選手がいました。

ここも勝利し、甲子園出場が確定しました。
ところがまだまだ強敵が立ちはだかります。
準決勝の相手は智辯和歌山高校です。
「また智辯!?」と当時の僕たちも、今の僕も思ってしまいます笑
智辯和歌山にも勝ちかけたのですが、最後は逆転サヨナラ負け。

後にプロ野球選手となる黒川史陽選手がいたり、近畿大会では怪我をしていましたが、現広島東洋カープの林晃太選手がいるなど、超タレント軍団でした。
乙訓の快進撃はここで止まるわけですが、準決勝の組み合わせは驚きです!

ちゃんと近畿のトップ3が揃っています。そこに無名の公立校がぽつり……。
もし智辯和歌山に勝っていたら、決勝戦の相手は根尾昂、藤原恭大要する大阪桐蔭でした。
果たしてどんな試合になったのか。。。
そして年が明け、甲子園大会に挑むわけですが、
初戦の相手は秋の中国大会王者のおかやま山陽高校。
勝利した乙訓は前述の通り三重高校と試合をして敗退するわけですが、もし勝ち進んでいたら、
星稜高校、大阪桐蔭、智辯和歌山という組み合わせ。
改めて、甲子園の凄さを実感します。
そんな甲子園に出場できた。僕は出ていないんですが、「甲子園に出場するチームにいて、取材を受けた」人間が文章を書ける人間だった。
これは偶然だったのでしょうか?
当時は、というよりつい最近までそんなことは考えもしなかったのですが、今になって思えば神様のイタズラだったような気がしないでもないです。
(僕はスピリチュアルには傾倒していませんが笑)
とは言いつつも、実は今回「発信しなくちゃ!」と思ったきっかけは
SNSで回ってきたスピリチュアル系の動画で
「薬指が人差し指より長い人は前世で人に何かを伝える使命を背負っている可能性が高い」
なんて真偽のわからない情報を見たことなんですけどね笑
ちなみに僕は薬指がかなり長いです!

案外、きっかけなんてそんなものかもしれませんが。
ただ、今こうして記事を書いていて思うのは、
若くして病気を患い、甲子園で取り上げられたのが僕だったのは、やはり神様が何かの使命を与えようとしたのではないかということです。
試練は超えられる者にしか訪れない。
それと同じで、使命は背負える者にしか与えられない。今はそんな気がしています。


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