当たり前の「明日」がこなかった人間がここにいます。
「当たり前に生活ができていることに感謝しろ!」とは小さな頃からよく言われました。
特にスポーツをやっている人であれば、最初に教わるのは技術的なことではなく、礼儀や挨拶だと思います。
指導の仕方はあれど、礼儀や挨拶というのは、いつの時代になっても大切なことだと思います。
その礼儀の中には、「感謝」というものも含まれます。
僕の話をするならば、小学二年生で始めた野球を高校三年生まで続けました。
なぜ続けられたのかというと、偏に家族のサポートがあったからです。
野球はお金も時間もかかります。
バットやグローブ、スパイクにユニフォーム、さらにはチームのウェアやバッグなど、道具代だけでとてつもない金額になります。
ここに遠征費や部費、食費などが乗っかってくるわけです。
そして時間です。
朝練があり、夜は日が暮れても練習をしている。
実際に野球をしている自分たちはもちろん、お弁当や間食を早起きして作ってくれた母は、洗濯や、時には送迎など、野球に一生懸命取り組む僕を様々な面でサポートしてくれました。
他にも指導者として携わってくださる監督やコーチ、練習場所や道具を用意してくれる学校など、1つのことをするだけでも、感謝、感謝、感謝です。
ただ、そんなことは大方誰しもがわかっていて、「感謝している」と言います。
僕もそうでした。
ですが病気を患い、いざ野球ができなくなった時に、自分がどれだけ恵まれていたのか、自分の感謝がいかに口先だけのものだったのかを思い知りました。
ここからは、「もっと感謝しなさい」という話ではありません。
今を大事にしてほしいというお話を書きます。
当たり前は、ある日突然消える
朝起きて、学校に行き、授業を受けて、部活に向かう。
それが僕の「当たり前」の1日でした。
毎日毎日そこにある、日常です。
でもそんな当たり前が、ある瞬間消え去ったのです。
悪性リンパ腫と診断され、入院することになった僕は「野球」ができなくなるどころか、学校にすら行けなくなりました。
治療が進み、入院ではなく外来治療に切り替えてからも、学校には行けても部活には行けません。
放課後、2年間共に汗を流した仲間は、僕が送るはずだった「当たり前の日常」……部活に行きます。
そんな仲間を尻目に、僕は毎日帰路に就きました。
甲子園に出場すると、ユニフォーム、帽子、シューズ、グラウンドコート、リュックその他諸々が甲子園仕様にグレードアップ(?)します。
ですが僕は、それら一式を使ったのは甲子園の応援に駆けつけた2日間だけとなりました。

みんなはその後も部活で使っていたのに……。
当たり前だと思っていたものは、決して当たり前ではなかったとその時初めて気付いたのです。
僕が失った「普通」の高校生活。
「普通」は普通ではありませんでした。
「普通」だと思える日々がそこに「普通」に存在している。それは奇跡です。
これは、病気に限ったことではありません。
世界中で、今も戦争が起きています。
でも日本で暮らす僕たちからすれば、戦争のない暮らしが「普通」です。
でも、その「普通」の暮らしはいつ一変するかわかりません。
戦争や病気のような、大きな問題がなくとも、「普通」の日常は当たり前に続くわけではありません。
僕の場合、野球をしていました。
高校野球というのは、3年生の夏の大会が終われば引退です。大学や社会人で野球を続ける人もいるかもしれませんが、大半の選手が高校3年の夏でユニフォームを脱ぎます。
3年生に進級した時から、野球人生の終わりに向けてのカウントダウンが始まっていることを、自分で感じることでしょう。
たとえ甲子園に勝ち進んでも、決勝戦まで勝ち上がっても、引退の時はやってきます。
一般生徒も同じです。
今の楽しい高校生活も、卒業式で終わりを向かえます。
それはもちろん、人生を彩る素敵な思い出として、また、人生を次に進めるための”前向きな終わり”です。
決して悪いことではありません。
ただ、往々にして、人は「あの時、楽しかったなあ」と過去を振り返ります。時には、「あの時もっとやれた(楽しめた)」と小さな後悔をします。
時間は戻せません。
「楽しい」が当たり前にある今、「しんどい」けど当たり前に野球に打ち込める今、それはかけがえのない大事な大事な「普通」であるのと同時に、いつ失ってもおかしくない、脆く儚いものなのです。
明日、突然野球ができなくなる/友達と当たり前に冗談を言い合うことができなくなると考えたことはありますか?
ないでしょう。なくていいんです。
でも実際に、「明日も当たり前に学校に来て、部活に行く」と思いながら、当たり前の「明日」がこなかった人間がここにいます。
繰り返しますが、こんなことは本当に考えなくていいんです。
考えなくていい代わりに、1つだけ肝に銘じてほしいことがあります。
それは、
今を大切にし、今と全力で向き合ってほしい
ということです。
僕にそれができていたかと振り返れば、できていなかったような気がします。
「普通」が普通でなくなった時、人はようやく「今しかない時間」の尊さに気づくのだと、僕は病気になって知りました。
部活動に励んでいる人たちに伝えたいのは、「感謝」はもちろん大切ですが、大切にするのは気持ちよりも時間です。
当たり前に過ごしている「今」を大切に、全力で向き合う姿勢があれば、周りから見たあなたは自然と「感謝」を忘れていない人として映るはずです。
普通が崩れ去るのは、本当に一瞬だから。


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