#6「僕の人生の意味と本当の夢」闘病記

僕は小説を書くようになって、物事にはすべて意味があると思うようになりました。

小説の作中で登場するキャラクターの存在、セリフ、伏線、そして構成……そのすべてに意味が含まれ、1つの小説作品として完成するからです。

人の一生においても同じです。

自分の前で起こる出来事、出会う人、別れる人。すべてに意味があるような気がしています。

僕はまだ四半世紀しか生きていませんが、自分が人生を振り返る時に、「あれもこれも意味があったな」ときっと思うんじゃないかと思っています。

小説を書く時、伏線はなるべく目立たないようあっさりと仕込みます。そして後になって伏線を回収し、読者に「あれはそういうことだったのか!」と驚きを与えます。

人生だって、伏線が張られた時に気がつくことは殆どないでしょう。

その意味に気付くのはずいぶん後になってからのはずです。

一方で、自分に起こることにだけ、意味があるのでしょうか?

僕たちは、意味を与えられるだけでしょうか。

違うと思います。

僕たちは意味を持って生まれてくるはずです。

その意味を探す旅こそ人生だと僕は考えています。

自分の存在意義や、生まれてきた意味、病気を患い、「死」と対峙したことで、僕はそれらと向き合う機会を得ました。

今回書くことは僕の話であり、誰しもに当てはまるものではありません。

ふーん、という程度に見ていただければと思います。

夢をなくした時、本当の夢を見つけた

別の記事で書いたことがありますが、僕の夢は「プロ野球選手」になることでした。

野球が本当に大好きだった少年時代の僕は(野球は今も大好き)甲子園に出場し、大活躍をしてドラフト指名を受ける。

プロ野球選手になったら今の大谷翔平選手のように打って投げて走れる、いわば全知全能な選手として活躍したい。

そしてメジャーリーガーになって、今の大谷選手のような歴史的な活躍をして、いつまでも語り継がれる伝説の野球選手として、歴史に名前を残したかったのです。

その夢は儚くも散りました。

病気による幕引きは不完全燃焼でした。

ですがプロ野球選手という夢をなくしたのと同時に、僕には「小説家」という新たな夢ができました。

ミーハー上等の僕が目指すところは、「芥川賞」受賞です。

もっと言えば、「ノーベル文学賞」を目指したいところです。

ですが、それはある意味ただのミーハー魂などではなく、僕の中では幼い頃から一貫性のある「本当の夢」なのでした。

僕は、芥川賞を受賞したくて小説を書いているのではありません。

ノーベル文学賞を受賞したくて小説を書いているわけでもないです。

野球選手になったとしても、沢村賞を獲得したくてピッチャーをするわけでもなければ、ホームラン王になりたくてバットを振るわけではなかったでしょう。

もちろん、どれも獲得できればこれ以上なく幸せです。

ですが小説を書くようになった僕が行き着いた「本当の夢」は、芥川賞でも沢村賞でもなく、

歴史に名前を残すこと

なのです。

野球も小説も、その手段でしかなかったのかもしれません。

もちろん好きでやっているし、好きなことで食っていけたらこんなに幸せなことはありません。

でも僕は、とにかく歴史に名前を残したい人間なのです(犯罪以外で)。

僕は幼い頃からずっと野球をやってきました。それなりに、上手だったでしょう。

身長があと10センチあれば、本当にプロ野球選手になれたかもしれません(なれなかったやつはみんな同じことを言う笑)

歴史に名前を残す第一候補の野球という道が閉ざされ、僕が次に選んだのは小説でした。

僕は文章が書ける→だから小説家

を選んだのです。

絵が描けたら画家を志したかもしれません。経歴を考えれば漫画家となって野球漫画を描くのもいいですよね(むしろできるなら野球漫画描きたい)。

特に僕は、小説を書き始めるまで小説を手に取ったことすらない人間でした。

今こそこだわりや矜持こそあれど、元々小説に思い入れはないのです。

雑な言い方をすれば、歴史に名前を残せるならなんだっていいのです。

それが人生を懸けて志したい「本当の夢」だから。

形(手段)こそ変わりましたが、本質的な部分は変わっていないのが、我ながら1人の人間らしくていいなと思ったりもします。

でも僕が「本当の夢」に気付くことができたのは、野球の次に手にしたものが「小説」だったからかもしれません。

かなり文学的なものの捉え方のような……笑

独特な死生観

「死生観」という言葉をご存知の方は、あまり多くはないかもしれません。

意味としては、文字そのもの、「死」と「生」に対して抱くその人の「価値観」のことです。

抗癌剤治療の苦しさから、もしもう一度抗癌剤治療を受けることになったら、僕は死を選ぶであろうことは以前書いた通りですが、それも一つの「死生観」です。

中には、どんなに苦しい思いをしてでも生きるべきだという方もいるでしょう。

それは間違いではありません。正しいことを言っています。

ですが、その正しいことが、時として当てはまらない時もあるのです。

※苦しいなら死を選べばいい、や、死ぬことが正しいという意味では決してありませんので、ご注意ください。

たとえば僕は、長生きすることにあまり魅力を感じていません。

正直に言えば、40歳くらいまでの人生でもいいと思っています。(自殺は絶対にしないし、50になっても60になっても生きてると思うけど😅)

もっと極端なことを言えば、明日死んでも構わないと思いながら毎日を生きています。思いながら、よりも「思えるように」と言ったほうが適当かもしれませんが、これについては別の記事でがっつり書きます。

まず、僕が人生は40年くらいでいいと思うことについてですが、ただし条件付きではあります。

長生きすることに魅力を感じない理由としては、介護が必要になり生活能力を失ってからも生き続けるのは、楽しいこともあるのかもしれませんが、「生きていて幸せ」と感じられる瞬間は殆どないような気がしているからです。

生きていても寝たきりだったり、歯がなくなって満足に食べれない、しゃべれないような、ボロボロになってまで生きていたいとは思わないというのが大きな部分を占めます。

そして条件付きでの40歳での人生終了ですが、これは作家として大成功している自分がいてこそです。

歴史に名前を残す作家になるということは、伝説になるということと等しいでしょう。

芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫・・・他にも例を挙げればキリがありませんが、人は彼らを「天才」と呼びます。

僕は天才ではありませんが、この「天才」という言葉の響きには昔からやけに惹かれます。パワプロで何回「天才」という選手を作ったか……笑

そんな、僕の憧れる歴史に名前を残した天才たちにはある共通点があります。

それは、若くして生涯を終えているということです。

自殺ばっかりやんけ!

とツッコミたい方もいるかもしれません。自殺は、僕にはとてもできませんが、一人の天才の一生が「一代記」という物語であるとするならば、自殺という結末は非常に魅力的でもあります。

こんな言葉があります。

「天才は夭逝する」

夭逝とは、若くして死ぬということです。

僕の中で、若くして死ぬというのは、その人が「天才」である1つの証明でもあると思ってしまっています。

それに僕は、昔から死に様は生き様だと考えています。

これは日本史好きの勇飛少年が直感的に覚えたものでしかありませんが、それから十年以上が経ち、小説を通して「人間」を観察あるいは研究しているつもりの今の僕から見ても、間違ってはいないような気がしています。

生き様は、死に様に出る、と。

僕は戦国時代が特に好きで、一番好きな戦国武将を挙げよと言われると、清水宗治という一般的にはかなりマイナーな武将を挙げるのですが、

彼は織田軍を率いて攻め込んできた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に水攻めという方法で城を落とされ、敗れるのですが、戦国の世に負けるということは、死を意味します。

ただ、この時のエピソードがめちゃくちゃかっこいいんです。

時系列で言うと、清水宗治が命を落とす頃というのは、織田信長がちょうど明智光秀に「本能寺の変」を起こされている頃です。

信長の死を知った秀吉は一刻も早く京都に戻りたいわけですが、水攻めで食料を使い物にならなくし、敵が城から一歩も出られない状態にしながらも清水宗治の守る備中高松城を落とせずにいました。

秀吉は清水宗治の器量を買って、和睦して寝返れと持ち掛けますが、毛利家に忠誠を誓う宗治は拒み続けます。

そして今すぐにでも京都に向かいたい秀吉は、毛利家と和睦を結ぶ条件として、宗治の自害を要求するのです。

宗治は、毛利家からも「その命だけは助けてやってほしい」と秀吉に命乞いされるほどの武将でしたが、

「自分一人の命で三千人の家臣たちを守れるならば」と

自らの死を以って自分の家来たちと主君を守ったのです。

かっこよすぎます。美しすぎます。こんな人間が本当にいたのかというくらい。

この宗治のエピソードを知った時から、命が一番輝くのはもしかしたら死に際かもしれないと思った勇飛少年です。

好きな歴史上の人物を挙げろと言われると、

源義経、真田幸村、新選組・・・歴史の中で「負けている」人たちばかりです。

世界史に目を向けても、特に楊貴妃の最期などはめちゃくちゃ惹かれます。

よく日本人は「判官贔屓」と言いますが、僕はそのど真ん中かもしれません。

そして今もそれは一貫していて、ここで僕の趣味を発表するならば、趣味の一つとして「オペラ鑑賞」があります。

オペラは、悲劇的な結末が多いです。若者の病死、自殺、心中……。

オペラに影響されて、僕は悲劇作品を好んで書きます。

それは単に悲劇的な結末の話を書きたいからじゃなく、悲劇にこそ、その人の生き様が現れると思うからです。

最期が印象的であればあるほど、ドラマチックであればあるほど、僕は胸が熱くなります。

たとえば太宰治は『人間失格』を書き終えたその足で自ら命を絶っています。『人間失格』は遺作ですよね。

三島由紀夫も、『豊饒の海』を書き終えて、自衛隊の駐屯地に入っていって、熱い演説をした後に割腹自殺という衝撃の最期を遂げています。

こんなふうに、若くして、あるいは全盛期で人生を終えるというのは途轍もなくドラマチックで、強烈なインパクトを残すと思うのです。

僕はリアルタイムでは知りませんが、未だに歌い継がれ、語り継がれる尾崎豊なんかもそうですよね。

若きスターがキャリアの絶頂で自ら命を絶つ……。

それはきっと、僕には実行できません。できないからこそ、強烈に惹かれます。悲劇に魅了されます。だから僕は悲劇を書くのです。

長々書いているので、これは一文でまとめますが、

世界中で評価され、読み続けられている小説作品も悲劇ものが多いんですよね。世界十大小説のラインナップなど、ぜひ調べてみてください。

人は悲劇に魅せられる。それは、誰しも避けては通れない「死」への関心がそうさせるのだと思います。

作家としての幸せ

僕の夢は、「歴史に名前を残すこと」です。

本当に、歴史に名前を残せたらそれでいいのです。

極端なことを言えば、生きているうちに芽が出なくても、自分がこの世を去った後で誰かが僕の才能を見出だしてくれても、僕は幸せなわけです。

もちろん、生きている間に成功して、いつまでも語り継がれる人間になれたら、万々歳。それ以上は望まないどころか、もはや望めるものがありません!笑

死んでから評価されるなんて、何を言うとんねん! そんなやつおるか!

と思う方もおられるかもしれません。

ですが、文豪で言えば、宮沢賢治は生きている間にはそれほど評価されず、本も売れなかったといいます。

音楽家で言えば、音楽の父と呼ばれるほどの巨匠・バッハも、存命のうちにはそこまでの活躍はしていません。

死後数十年が経過して現れたメンデルスゾーンという音楽家が「こんな天才がいた」と評価したことで、今日まで巨匠と呼ばれる存在になったわけです。

もちろん、死んでしまったら、自分が後世で評価されたって、知る由もありません。

ですがものを作る人間の一番の幸せは、10年後、20年後……100年先まで自分の作品が、そして自分の名前が語り継がれることだと思うのです。

この考え、死生観を、僕は共感してもらおうなんて思いません。殆どの人には当てはまらない感覚であることはわかっています。

ですがこういう考え方の人間もいるということを、面白がってもらえたら喜ばしい限りです。

語り継がれるには、「形」が必要です。

これから先何もかもがネット上の世界になってしまったら、わざわざ検索して探り当てないと、僕の小説作品は見つけられないかもしれません。

でも「本」という形として残っていれば、たとえば屋根裏部屋や押し入れの中など、偶然にも紛れていて、100年後に発掘される可能性を残します。

「青池勇飛……聞いたことないな。どんな話なんやろ」

そうして1ページめくり、面白いと思ってもらえたら、その人が「青池勇飛って知ってる?」と僕の名前を口にし始めるかもしれません。

もしかすると、そこから僕の作品が評価されて、100年後には文豪の仲間入りを果たしているかもしれません。

メンデルスゾーンは、いつ現れるかわかりません。

現れたとしても、「形」が残っていなければ、見つけてもらうことはできません。

だから僕は、まだ文学賞を受賞してはいませんが、本を出しました。

Amazonで、ミステリー小説を出版しました。

その一冊がこれです。

『地獄の門』ミステリー&悲劇です。

買ってくれ、なんてプロモーションのための記事じゃありません笑

でも一応宣伝しておきます📖

泣けます!!!笑

今後、僕が賞を受賞して、出版社から本が出される可能性もなくはないです。

ですがこのまま埋もれてしまい、なんちゃって小説家のまま人生を終える可能性のほうが高いです。

歴史に名前を残すーー。

それは僕の最大にして唯一の夢です。

そのためには形を残さないといけない。本を出さないといけない。

だから僕は、すでに本を出版しています。

たった一冊の本かもしれませんが、それは紛れもなく僕の生きた証でもあります。

青池勇飛という1人の人間の、生きた証です。

もしかすると、たった一冊の本が僕をどこまでも連れていってくれるかもしれません。

そしていつまでも語り継がれ、歴史に名前を残せたら、こんなに幸せなことはないと思うわけです。

それでもやっぱり、生きている間に富も名声も手に入れたいんですけどね笑

最後にもう一度本のリンクを貼っておきます!

本当は世に出したい作品がもっとあるんですが、編集とか、ファイル形式とか全部自分でやらないとだめで、一生エラーが出てうまくいかないんですよね……😅

『地獄の門』